4月19日

自分の一番欲しい車はやっぱりレクサスLCであることがわかった。今日高速道路を運転していて、コンパクトカーでは力不足を感じたから。新型のプリウスをずっと追いかけていたけど、その時にパワー不足を感じた。

もし自分が300億円当たったら、まず自分のためにレクサスLCを購入し、その後家に車をプレゼントする。自分の家の周り金持ち多いから、マウントとりたいからアルファードかクラウンかレクサスLSかどれかを購入したいね。まあなんかのSUVでもいいけど。プリウスでもいいけど。でもやっぱアルファードかな。アルファードか、クラウンか、レクサスLS。自分が一番欲しいのはレクサスLS。やっぱ多分乗り心地レベチやと思うから、セダンの方が。でも、広々としたスペースを確保できるのはアルファードの方だから、悩むところやな。

4月12日

自分はサボりだ。サボリであることが、自分の今一番嫌いなところ。コミュ力は、なんか意外とあるんじゃないかって思ってきた。そうだね、ちょっと本読も。村上龍の、自殺よりもsex。自分を変えるには、大きな刺激が必要。大きな刺激があれば、人は変わる。てか今日の469円の使い道を決めないと。

4月11日

自分が人生で一番大切にしていることは、周りの人と仲良くすること。色々な人と仲良くすることで、色々な世界を知ることができると思うから。今友達に欲しいのは、車をフルローンで購入した人。

自分が人生で一番後悔していることは、周りの人と仲良くしなかったこと。特に、中学の時の好きな人とか、高校時代の部活とか。みんないい人たちだったな。これからは自分が、色々頑張っていきたい。

自分が周りの人と仲良くする方法は、顔の良さに頼り切ったゴリ押し。かわいくない?って。俺、見た目いいよーって。

後悔とかはなくって、そもそも後悔とかいう感情もおかしくって。幸せと不幸の総量は一緒っていうのはずっと言っていることだけど、うん。その時点の自分はそれしかできなかったから。そのありがたみが分かってなかったから。自分の一番の強みは、見た目がいいこと。強すぎて、逆に弱点というか、いいからこそ人生が狂うみたいなことも起こりうるわけで。見た目って難しい。彼女欲しい。人生においてモテてきた彼女が欲しい。男子で自分と同じような、同じレベルでモテてる人とかいねーから、工学部に。モテすぎてる、人生に支障をきたすレベルで。そうやな、人生に支障をきたすレベルで俺モテてる。だから難しい。てか、夜になると余計なことを考えてしまう。考えなくていいことも考えてしまう。さっさと寝た方がいいのかもしれないけれど、これも自分だしね。眠れないのも、自分らしさなのかもしれない。自分らしく、生きていくとは、諦めることなのかもしれない。こうしよう、ではなく、打撃を与える、自分に。刺激を求める。自分の知らない世界を知るために。でも睡眠不足ではベストなパフォーマンスはできない。そういう人なのかもしれない、自分って。最高なコンディションで臨める日が少ない、そういう人、自分って。今日何でこんなに書いているんだろう。夜になると、自分の全てを曝け出したくなる。感情の動きは全て、そう思った方が繁殖に有利だから、であると思う。その個々人、個々の遺伝子の生存戦略、それが感情。生存戦略とは、繁殖に有利な性質を持つ個体以外が淘汰されることによって、その種族の性質が変化すること。種族を意志を持つひとつの存在ととらえた時、それが生存のための戦略に見えることから、戦略という名前がついているだけ。実際はただの現象であるのにも関わらず。ああ、才女とお話したい。すごく頭のいい人と。そのためにも、メンサ入りたい。もう、人生やだなー。寝たくないなぁ。

今の研究室の友達、彼を大切にするのもいいかもしれない。彼は、哲学的な話が好きかもしれない。ああ、俺って、哲学的な話が好きなのかもしれない。

社不じゃないと留年しないね。

そう、夜自分をさらけ出したくなる、それも人間の生存戦略なのかもしれない。夜自分を曝け出すことによって、セックスし、子孫を残すことに繋がる。

4月9日

眠れない。眠いけど、寝たくない。

自分の欲求について、なんかこうじゃ無いかなっていうのがわかってきたので書いておく。三大欲求の中で一番強いのは食欲。次が性欲が普通の人よりだいぶ弱いくらい。一番弱いのが睡眠欲で、マジで寝たくない。そして起きたくない。ん?睡眠欲についてはよくわからん。そして食欲よりも半端なく強いのが物欲。

4月5日(2)

人間の自己評価って、こうでありたい、という願望が入ってしまうものな気がする。たとえば、自分は器用貧乏な方が都合がいいから、自分のことを器用貧乏であると思い込んだり、自分がアルファードを欲している方が都合がいいから、自分はアルファードが欲しいんだと思い込んだり。みんな、自分の都合のいいように、自分という人間を捻じ曲げようとしているのかもしれない。あるいは、捻じ曲がったものこそが、人間なのかもしれない。